努力の結晶に価値なし
実家に帰ると
部屋のお掃除をしたり
本棚を整理したり
昔の服、文房具、プリント、ノートを捨てたり
とにかく
断活をすることが多い
限られた時間で
ここぞとばかりにする
特に多いのが
服と勉強ノート
毎回少しずつ
捨てたり出品したりしているけど
なかなか踏み込めないものが
いつも残る
今回はその中でも特に
捨てられずにとっておいた
大学時代の勉強ノート
を捨てるに至った
このノートたちは
大人になって子供ができて
その子供に自慢するまで
保存しているつもりだった
だけど
久しぶりに手に取って
パラパラめくってみると
過去の努力に浸ってるって
なんてバカバカしいんだ
と感じた
そして
東京で暮らしているとき
一度でもこのノートのことを思い出したか?
一度でもこのノートを参照したいと思う時があったか?
と自分に問いかけた
答えはノーだ。
そして
過去の努力の結晶となる
あらゆるものがこの部屋に
飾ってあるorしまってあることに
恥ずかしくなった
もういらない
今見ても参考になる
かつ
このノートでしか得られないものがある
かつ
自分一人で勉強するだけでは理解が難しい
と判断した
法律、薬学、化学
のノート3冊だけを残し
22冊全部
破棄した
とても気持ちが良かった
もう過去の努力の結晶を
見直す必要はない
浸る必要もない
最近はノートもほぼiPadで書く
だからノートという物体が
形を残していること自体
懐かしいことに感じた
形として残っているものほど
捨てられないけど
捨てるときに過去の自分と向き合える
今の自分が頑張れているかどうか
私はいつも過去の1番辛い時の自分と比べる
どうやら
過去の自分に負けているようだから
もっと頑張らなくちゃ
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